2011年8月14日日曜日

天使の手先

前回の記事に関する予言は、やはり現実のものになりませんでしたね。ほっとすると同時に、未来のことってわからないからこそいいのかもしれないと思いました。わからないからこそ、色々な体験をするのでしょうし、だからこそ、自分で創造することができるのでしょうね。

引き寄せの法則で、よく「流れに乗る」という言葉が出てきますが、先のことを知るというのは、流れに乗るという観点では必要ないことなのかなと思います。知っても知らなくても、別にいいのではないかと思うのです。

もっと宇宙の流れにまかせていることの方が、必ず良い方向へ、流れが連れて行ってくれるのです。なぜかというと、良くなるに決まっているからです。

聖フランシスコの祈りに、「主よ わたしをあなたの平和の道具としておつかいください」という言葉ではじまる「平和の祈り」というものがあります。マザーテレサもこの祈りにのっとった生き方をされましたが、この「神様の道具」という考え方が、私はとても好きなんですね。

人間はどうしてもエゴがありますから、恐れや不安があると、色んな事をしますし、テレビを見ても、コマーシャルは不安に突き動かされるものが随分あります。そして、余計なことをしてしまうのです。余計なことと言うのは、流れに逆らって上流に向かって舟を漕ぐことです。

引き寄せの法則を知る前は、こうだったけれど、知ってからはこうなったという部分で言えば、この「オールを手放して流れに逆らわないようになった」ことが、一番大きいと思っています。

不安になるとあたふたと色々なことをしたり、損得で決めたり、ものすごく頑張ったりしていましたが、流れに乗ることを知ってからは、できるだけいい気分になって、自分でどうこうしようとしないようになりました。変だなと思う時は、「おっと、オールを持って、上流に向かって必死で漕いでいるぞ~」とはっとしたり…。

そう、自分でどうこうしようとしすぎてしまうのです。でも、自分がしなくてもいいんだなあと思います。

それでも、こんなことしていいのかな、こんなことをして誰かに何かいわれないだろうか、という不安が出た時、私は「神様の道具」になりたいなあと思うのです。

もっと手近な言い方をすれば、「天使の手先」です。私を使ってもらって、天使のお仕事の手先になりたいなあという考えです。

自分はあくまでも天からの働きの通路だったり、天使のメッセージの翻訳者だったりして、そこにエゴは極力ない状態というのが希望なのです。

時々、これでいいのかなとふと立ち止まってしまう時、「天使の手先」にしてくださいと祈ると、ほっとしたり勇気が出たりします。その時、私自身は自分でオールを漕いでいない状態です。ですから、流れにちゃんと乗っていられるわけです。

そういうときは、とても幸福感に満ちていて、充実していて、心も満ちている感じなんです。

それから、よくわからなくなったときは、天使に「私に何をさせたいですか?」と聞いてみるのもいいかもしれません。天使の手先としてのあれこれを教えてもらえるはずですよ。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 引き寄せの法則へ

0 件のコメント:

コメントを投稿